【箱根駅伝】東海大初優勝!両角監督の指導力がすごい!奥さん息子もアスリート!超有名ランナーも教え子だった

毎年楽しみにしている方も多い箱根駅伝。
特に最近は、「大学駅伝人気」や
2020年の東京オリンピックの影響もあり
特に注目されています。
青山学院大学の5連覇か東洋大学の王座奪還か。
はたまた、東海大学の初優勝か・・・。
2019年は波乱の結果となりました。
第95回箱根駅伝の結果
東京・千代田区大手町の読売新聞社前~神奈川・箱根町の
芦ノ湖を往復する10区間217・1キロで開催。
3日の復路(5区間109・6キロ)は
2位でスタートした東海大が8区で小松陽平(3年)の
区間新記録の力走で東洋大を逆転するとそのまま逃げ切って、
10時間52分9秒の大会新記録で初の総合優勝を飾った。
ゴール地点の読売新聞社前では10区の郡司陽大(3年)が
ゴールテープを切ると、歓喜の輪ができた。
そして郡司や両角速監督(52)が胴上げされ新春の大手町の宙を舞った。
〈報知新聞より一部抜粋〉
両角監督のコメント
「信じられないような心境ですが、うれしい」。
勝因については
「10人の選手が、やってきたことに自信を持ってやってくれたことに尽きる。
(これまで)悔しい思いがあったが、
そこ(=箱根駅伝での優勝)に向けてチャレンジ、
挑戦していく姿勢が発揮されてうれしい」と語った。
両角監督は、胴上げと健康の為に減量を行っていたと
優勝後のインタビューで仰っていました。
しかも、17キロも痩せたそうです。(86㎏→69㎏)
両角監督自身も体重をコントロールして
初優勝の準備万端だったんですね!
両角速監督のプロフィール
名前:両角 速(もろずみ はやし)
生年月日:1966年7月5日
出身地:長野県茅野市出身
家族:奥さん(貴子さん)、長男(駿さん)、次男(優さん)
日本の陸上競技選手、陸上競技指導者。
東海大学体育学部競技スポーツ学科特任准教授。
東海大学陸上競技部駅伝監督を務める。
幼い頃からスポーツが得意で、小学校の頃には
“将来は体育教師になる”という夢を持っていた。
両角家はアスリート一家
奥さんの貴子さんは、若い頃
スピードスケートで全国大会に出場していた選手でした。
長男の駿(しゅん)さんは、佐久長聖高校在籍時は、
全国トップクラスのランナーで、全国高校駅伝や国体に出場し、
活躍しました。
高校卒業後は父が監督をする東海大学へ進学。
しかし、高校3年生時に大腿骨を疲労骨折した影響で、
故障に苦しめられ、大学2年で陸上を辞めてしまったようです。
その後は東海大学の大学院へ進み、体育学を学びながら
東海大学で駅伝部のコーチをしているようです。
次男・優(まさる)さんは立教大学・野球部の4年生です。(2018年現在)
小学2年生から野球を始め、ポジションはピッチャー。
佐久長聖高校時には甲子園にも出場しています。
大学では、肘の怪我で思うように投げられなくなり、
学生コーチとしてチームを支えています。
奥様もスケート選手だったとは知りませんでした。
息子さん2人もそれぞれ陸上や野球をやられていたのは
知っていましたが、ケガで活躍できなくなってしまったんですね…。
長男の駿さんは、地元の中学から佐久長聖高校時代の活躍は有名で、
毎年12月に京都で行われる全国高校駅伝でも
注目を集めていました。
しかし、ケガには勝てませんね(;_;)
|
両角速監督の指導力は?
今回は、東海大学の駅伝監督になる前の
有名ランナーを育てていた頃について
まとめていました。
【経歴】
中学から陸上部に入り、東海大三高校時代にはインターハイに出場した。
東海大学第三高等学校から東海大学に進み、箱根駅伝を4年連続で力走した。
社会人では日産自動車、ダイエーなどで活躍し、オリンピックを目指すが出場は果たせなかった。
1995年に長野県の佐久長聖高校教諭となり駅伝部監督を務めた。
「5年以内に都大路に出場してくれ」と学校長に頼まれたが、
当初部員はわずか2人でスカウトを兼ね自ら大会に出場していたところ、
佐藤清治を見出したという。
そして、創部4年目に全国高校駅伝へ出場!
4位入賞を果たした。
佐藤清治や上野裕一郎、佐藤悠基といった日本高校記録を更新するランナーを育て、他にも全国高等学校総合体育大会の入賞者を出した。
他県出身の佐藤悠基や大迫傑ら中学時代の全国大会上位入賞者が進学するなど佐久長聖高校を長距離陸上競技の名門校に育て上げた。
佐久長聖高校は箱根駅伝や全日本実業団対抗駅伝競走大会、日本インカレ、日本陸上競技選手権大会、世界陸上競技選手権大会といった大会出場選手の出身高校として知られるようになった。
佐久長聖高校は、外国人留学生のいない日本人高校生のみで構成されるチームながら、全国高校駅伝で1998年から2010年まで13回連続出場・12回入賞の成績を残した。
2008年第59回大会には佐々木寛文・村澤明伸らが出場し、
2時間02分18秒の日本高校最高記録で初優勝を果たした。
また天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会では長野県チームコーチを務め、
現役・OB にわたって多数の選手を送り、2004年からの3連覇、2008年からの2連覇に貢献した。
2011年4月、東海大学体育学部競技スポーツ学科特任准教授・東海大学陸上競技部駅伝監督に就任した。
2017年10月9日、出雲駅伝にて10年ぶり4度目の優勝を果たす。
2019年1月3日、第95回箱根駅伝にて初の総合優勝を果たす。
【指導方針】
指導法・哲学として生活面では全寮制で規則正しい生活を求め、
また雪深く寒さの厳しい長野県で育った経験から、
「雪国だからってスタートラインを100m手前にしてくれるわけではない」
「絶対に厳しい状況でも妥協はしない。そのことが自分を強くしてくれるはず」という厳しい競技観を持ち、各分野での指導に当たっている。
高校駅伝での実績を持つ指導者ながら駅伝については、
「駅伝は強化策の一部」「駅伝はトラック競技、マラソンに出るための通過点」との考えを持つ。
監督就任後には1周600メートル高低差10メートルのクロスカントリーコースを自ら重機を操作して整備。「体の背面部分、腰、太もも裏など筋肉を鍛えるのにアップダウンがいい」との指導法でトレーニングに活用し、選手のスピードとスタミナを鍛え上げている。
力学を重視し選手にはフォームについて徹底的に指導に当たる。
また同じ練習メニューを課して競わせることで選手の実力向上を促しているという。
【東海大・両角速監督】まとめ
長野・佐久長聖で指揮を執ると男子マラソンの
日本記録保持者・大迫傑や、佐藤悠基、村沢明伸らを育てた。
2011年4月、手腕を期待されて東海大の監督に就任。
12年の予選会で敗退して13年大会は出場できないなど苦難を乗り越え、
ついに2019年大会で初のトップに立った。
あったようですが、今回の箱根初優勝という結果を残したことで
両角監督の駅伝指導力や采配はかなりの手腕だと言えるでしょう。
高校生と大学生両方の指導経験を持ち、
日本記録保持者の大迫傑選手や佐藤悠基選手、村沢明伸選手など、
大学卒業後も日本陸上界で活躍できる選手を育てています。
今後も日本の陸上界に名を刻む選手の育成を期待しています。
-
前の記事
【きのう何食べた?】原作ファン西島秀俊と内野聖陽主演で2019年4月ドラマ放送開始!映画化は? 2019.01.03
-
次の記事
「メゾン・ド・ポリス」のキャスト紹介とあらすじ!見逃し配信と視聴率は? 2019.01.19